メガネストの読書日記

眼鏡好きのメガネストが、読書日記をつける

中島京子『妻が椎茸だったころ』

 

妻が椎茸だったころ (講談社文庫)

妻が椎茸だったころ (講談社文庫)

 

  私が椎茸だったころに、戻りたい

 

 というわけで今回は、中島京子『妻が椎茸だったころ』(講談社文庫)です。

 ご存じ(?)かと思いますが、本作は直木賞作家の短編集で、泉鏡花賞受賞作でもあります。

 たしか、受賞当時に知り合いの方との話題に上げて(そのときは未読でした)、意識の片隅にあったのですが、この度文庫になったということで、購入。

 本作は連作短編集となっておりますので、個別に感想を述べていきたいと思います。

 

・『リズ・イェセンスカのゆるされざる新鮮な出会い』

 表題作のタイトルがポップなので油断して入ったら、どえらい怖い話でござんした。途中から「あれ?」と思ったんですが、これは見事にやられました。

 

・『ラフレシアナ』

 食虫植物の世話をすることになった女の話。これも切れ味が見事。

 ここまでのなにがすごいって、読者の期待をいい意味で裏切りつつも、帯や裏表紙にある『偏愛短編集』という看板には一切の偽りがないところだと思います。

 

・『妻が椎茸だったころ』

 表題作。ここまでとは打って変わって、やさしい物語。

 序盤の夫の料理(?)シーンがコミカルで面白いですが、後半がこれとうまく対比していて、読後感がおそろしく良かったです。

 

・『蔵篠猿宿パラサイト』

 また怖い話じゃないですかーやだー

 ……それはともかくとして、いわゆるテンプレもののホラーの顔をしています。

 個人的にはこういう話は好みなのです。

 

・『ハクビシンを飼う』

 読んでいて漱石の『夢十夜』を思い出しました。

 どこかファンタジックで、現実感のない物語で、『夢十夜』と異なっているのは基本的にはやさしい物語であるというところでしょうか。そういう意味では江國香織の『デューク』っぽいかもしれません。

 

 という感じ。

 泉鏡花賞受賞作、ということでまあ、だいたいどんな短編集かわかろうというものでしょうが、期待にたがわぬ良作でした。

 個人的には表題作と『ハクビシンを飼う』が好みで、勝手にアンソロ組んでいいなら、『妻が椎茸だったころ』を入れたいところ(『ハクビシン~』は『デューク』を入れたいので、泣く泣く選外)。

一つ一つの話は短いのですが、それだけに切れ味が鋭く、五作に共通するテーマである《偏愛》を鮮やかに描き出しています。

原田マハ『楽園のカンヴァス』

 

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

 

 

 

暗幕のゲルニカ

暗幕のゲルニカ

 

 

 そこには確かな情熱があるんです。

 

 というわけで今回は、原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮文庫です。

 

 本書は再読作品になります。多分三回目くらいかな。

 この記事には文庫版のAmazonページを貼っていますが、僕が持っているのはハードカバー版です。初見の作家(僕の原田マハデビューは本作でした)でいきなりハードカバーを買うことはまずないのですが、当時話題になったこともあって発売からあまり間をおかずに買い、間もなく読了した記憶があります。

 今回本作を再読したのは、ちょうど『暗幕のゲルニカ』(新潮社)を購入したため、同作者の美術をテーマにしたこちらも再読しておこう、と思った次第。

 

 それでは感想。

 いいですね、これ。すごく好みです。

 作者が元々美術畑の人間なだけあって、ルソーやピカソの作品について語る部分は臨場感があります。

 本作はMoMAのアシスタントキュレーターであるティムとルソー研究の気鋭早川織絵がルソー幻の作品とされる絵画の真贋をめぐって対決する、というのがメインの話になるのですが、ここが濃密で非常によかったと思います。

 この対決の締めくくりはやや駆け足になった印象がありますが、物語のエンディングは非常に読後感がいいのであまり気になりません。

 この対決パートには『夢を見た』という作中作が登場するのですが、個人的にはこれを利用して、もう少しミステリのような読ませ方をさせても面白かったのかな、と思いました。全体的にうっすらとミステリのような雰囲気も漂っているので、なおさらそう感じます。

 とはいえ、物語として非常に濃密で、作品世界に没入させられる手腕は見事でした。ちょっと美術館に行ってみたくなる作品。

竹本健治『涙香迷宮』

 

涙香迷宮

涙香迷宮

 

 

 巨人が残した歌には、暗号が隠されている。

 

 というわけで今回は、竹本健治『涙香迷宮』(講談社です。

 新年一発目、ということでね。昨年度のランキングを席巻した作品の登場です。

 本作は天才囲碁棋士牧場智久を主人公としたシリーズものの最新作ですが、ここから読み始めてもまったく問題はないでしょう。というか、僕がそうですし

 

 で、感想に移ろうかと思うんですが、最初に断っておきたいことがあります。

僕はこういう、『〇〇に隠された本当の意味!!』的な謎解きがとても好きなのです

高田高史『QED~百人一首の呪~』の感想でも触れたことですが……)。なので、感想としては結構甘目かもしれません。

 

 それでは感想。

 いやあ、面白かった! やっぱり暗号解読ものはいいですね!

 あらゆる分野で傑出した才覚を見せた人物、黒岩涙香が残した暗号、という舞台設定がまずよかったですね。緻密に組み上げられたパズルを一つずつ紐解いていくという、出題者と回答者のせめぎ合いが見事です。

 そして、なによりも注目してほしいのが、暗号と、それを彩る《いろは歌》です。

 いろは歌というのは『いろはにほへと』の歌のように、五十音全てを一度だけ使って作る歌のことで、作中にはこれが大量に出てきます。これがまた素晴らしい出来で、作中のいろは歌を眺めているだけで、個人的には満足感が高かったです。特に作中の核となるいくつかの歌はまさに超絶技巧といっていい出来で、読みながら一人「ははあ」と感嘆の溜息をもらしてしまったほどです。

 なお、作中では殺人事件も起こるのですが、こちらは味付け程度のものと考えるべきでしょう。本作の醍醐味はあくまでも涙香の遺した謎であって、ほかのすべてはそれを演出するためのものであるように感じます。物語的には複線の張り方がやや粗いようにも思いますが、そんなものはこの大きく、魅力的な謎の前では霞んでしまいます。恐ろしく巨大で繊細なこの暗号に触れるだけで、本作を読む価値があるでしょう。おすすめです。

ジョー・ネスボ『その雪と血を』

 

 

二流小説家 〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

二流小説家 〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

 

 

  雪が、降っていた

 

というわけで今回は、ジョー・ネスボ『その雪と血を』(ハヤカワポケットミステリー)です。

 

 実のところ、ポケミスを読むのはこれで二冊目なんですよね。一冊目はたしか、デイヴィッド・ゴードン『二流小説家』(現ハヤカワミステリ文庫)だったと思います。

 それはともかくとして、今回は北欧ミステリの重鎮であるところのネスボの作品です。僕は初めて読んだんですが、いいですね、これ!

 帯には《殺し屋の男が恋をしたのは標的(ターゲット)の女》という惹句が書かれているのですが、これだけ読むと割とありがちな物語であるように思うかもしれません。しかしながら実際には、そこから殺し屋のオーラヴの中に生まれたものが重要であるように思います。

 彼が恋した二人の女で揺れ動く心、危機的な状況、それとは全く対照的な、美しく降り積もる雪。記録的寒波が襲った七十年代ノルウェーで起こった、小さな、しかし美しい物語がそこにあります。

 クリスマスストーリー×ノワール、という書き方をするとただそれだけになってしまいますが、二つの要素が互いを引き立て合う、素晴らしい物語だと感じました。この時期にはぜひとも読んでほしい一冊です。

獅子宮敏彦『砂楼に登りし者たち』

 

砂楼に登りし者たち (ミステリ・フロンティア)

砂楼に登りし者たち (ミステリ・フロンティア)

 

  そうか、すべてはつながっていたのですね!

 

 ということで今回は、獅子宮敏彦『砂楼を登りし者たち』(東京創元社ミステリフロンティア)です。

 

 本作は連作短編集になりますので、個別に感想をば。

 

・『諏訪堕天使宮』

 諏訪王家を舞台とした、不可能犯罪のお話。

 ところどころで割とはっきりと「おや?」と感じるポイントがあり、それが真相に密接にかかわってくるあたり、ちょっとまっすぐすぎるかなあ、という気がします。

 

・『美濃蛇念堂』

 シチュエーションがとても好みの一編。

 トリック自体は割と斬新だったように思います。しかし、この話において重要なのは、トリックそれ自体ではなく、『なぜ』そんなことをしたのか、という理由のほうでしょう。

 

・『大和幻争伝』

 他とは見事なまでにテイストが違っていて、ちょっとおもしろいですね。ちょっと山田風太郎っぽい気もします。

 少しトリックに無理があるような気もしますが、作品の雰囲気が良かったので良しとします。

 

・『織田瀆神譜』

 メインとなる中編。これまで多少の無理を通しつつも貫いてきたテーマをしっかりと回収し、最後におまけともいえる謎解きもありで、個人的に満足の一編。

 

 という感じでした。

 最近読んでいるのは『いつ、どこで、なぜ買ったか思い出せないシリーズ』なのですが、本作もちょっと思い出せないですねえ……どこかで評判を聞いたのだと思いますが……

 個別に見ると、やや無理があるトリックも使われているのですが、本作で重要なのは、トリックそれ自体ではなく、そこに含まれているテーマであるように思うのです。

『織田讀神伝』の項で《おまけの謎解き》と書きましたが、実際のところこの謎解きのほうこそが、本作のメインであるように思います。ここの解決に合理的な意味をつけるために、四つの謎を残夢という老医師に解かせていったのではないか、という印象を受けました。

 トリックのテーマを一貫させ、四つの毛色が違う物語で彩る手法は、なかなか見事なものでした。是非読んでください!

 といってみたものの、この本、今手に入れるのは簡単なんですかねえ……?

清水義範『ドン・キホーテの末裔』

 

ドン・キホーテの末裔 (岩波現代文庫)

ドン・キホーテの末裔 (岩波現代文庫)

 

 

 

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

 

 

 そうだ、続きを……第三部を書かねば。

 

 というわけで今回は、清水義範ドン・キホーテの末裔』(岩波現代文庫です。

 本作は、タイトルの通りセルバンデス『ドン・キホーテ』(岩波文庫を下敷きとした壮大なスケールのパロディ作品です。

 ……という書き方をすると非常に分かりやすく、片手落ちの説明になってしまうのですが、なにがどう落ちているのかというのは、正直なところうまく説明できる自信がありません!

……あっ、ちょっと、眼鏡を取るのはやめてください。ちゃんと説明しますからその眼鏡に指紋をつけるのはやめてくださいお願いします。

 ええと、本作の説明をするには、まず本家ドン・キホーテの話をしなければなりません。

 ある老人が自分のことを騎士であると勘違いして、行く先々で色々とお騒がせする話、というのが本家ドン・キホーテのざっくりした説明になります。

 このドン・キホーテの更にメタ的な立ち位置を書こうとしたのが、本作であります。

 本作には、二人の作家が登場し、そのうちの一人がドン・キホーテのメタ小説を書き始めます。もう一人の作家は、それを興味深く読んでいたのですが、いつの間にやら自分でも、ドン・キホーテのメタ小説を書き始めます。

 その作品内で、自分のことをセルバンデスだと勘違いした小説家が、ドン・キホーテの第三部を書き始めていくのです。

 というのが本作のざっくりした(非常に、ざっくりした)あらすじになるのですが、本作のもっとも特筆すべき点は、マトリョーシカのような入れ子構造になっている、という点です。

 入れ子構造の例として、今マトリョーシカを出しましたが、

f:id:mahiro_megane:20161220011418j:plain《参考画像》

 こんな感じで、通常は大きい人形の中から小さい人形が出てくる、という構造になっているのですが、本作は逆ですドン・キホーテの末裔』という本になっている物語が、マトリョーシカの一番小さい部分で、そこから外へ、外へと物語が広がっていく、という構造になっています。

 最後にこの構造が作中でネタバラシされるんですが、そのくだりがとてもよかったように思います。読み進めていって「おや?」と思ったところが、最終的にしっかり回収されますしね。

 『逆入れ子構造』とでもいうべき本作ですが、そういう枠組みはしっかりと維持しつつも、作中ではあらゆる境界が曖昧になっていき、しっかりとドン・キホーテを踏襲しています。現実をパロディとする、という手法も本家を意識したものとなっていて、やはり本家を読んだほうがより楽しめる作品なのではないかな、と思いました。もちろん、本作単独でも十分に楽しめるものではありましたが。

あ、ちなみに僕は本家は未読です。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』

 

八本脚の蝶

八本脚の蝶

 

  今はもうない、その透明な図書館には、一体どんな物語が所蔵されていたのだろうか

 

 というわけで今回は、二階堂奥歯『八本脚の蝶』(ポプラ社)です

 かつて、二階堂奥歯を名乗り幻想文学方面でその才気を如何なく発揮していた女性がいました。国書刊行会の編集者だった彼女は、自身の日々をブログに綴りはじめました。それをまとめたものが本書になります。

 

 僕がこの本を手に取ったのは、多分本書が刊行されて割とすぐのことだったように思います。おおよそ十年前の僕は、まだそれほど本を読んでいるわけではなくて、特に何も持たないような少年でした(多分)。どこかで評判を聞きつけて購入したのですが、大正解でしたね、これ。Amazon的な何かで買おうとすると、最低でも定価の倍くらいするし(2016年12月18日現在)。

 そういう、本読みとしてバニラな状態で出会ったこの本は、僕にとって重要な位置にすとんと収まり、以来、折に触れて読み返すようになりました。今回も、そのうちの一回です。

 

 それでは、感想。

 正直なところ、ちょっと言葉が出てきません

 なんか、南条あや(元祖メンヘラの人、多分)と同じ箱に入れられることもある作者ですが、個人的には全く別物だと思います。というか、彼女、二階堂奥歯誰にも似ていないように思います。《二階堂奥歯》というカテゴリに、たった一人だけ属しているような、不思議な人物だなあ、と思います。

 すでに何度も読んでいる本ですが、その度に「よくも悪くも、この人に影響を与えることができた人はほぼいなかったのではないか」と思わされます。

 ある部分で傑出した人間というのは時折あらわれて、しかしろうそくの火が風に煽られて消えてしまうようにいなくなってしまうものですが、彼女もそういう類の人間だったのかな、と感じます。そういう人がこうして、ブログに自分をつづっていて、それを(その気になれば)気軽に読むことができるというのは、このインターネット社会の数少ない利点の一つであるように思います(彼女が活動したのは、すでに十年以上前ですが……)

 

 「私は物語を書けないけれど、私は物語をまもる者でありたい」

 

 そう願った彼女は、自分という物語を壊して、この世界から退場してしまいます。数多くの、二階堂奥歯の読者を残して。2013年4月のことでした。

 本書は、二階堂奥歯のおおよそ2年という短い(かどうかは人それぞれかと思いますが、僕は短いと感じました)期間をまとめたものですが、その分量は膨大。彼女は作品からの引用を多用しているのですが、その多様さに驚かされます。一体どういう人生を送ってきたら、たかだか25年くらいでこれほどの本を読んでくることができたのかと衝撃を受けました。

 

 最後になりますが、本書を読んでみようと思われた方に。

 二階堂奥歯の文章は、どこか中毒性を孕み、強い引力を持っています。『引っ張られ』ないようにご注意ください。