道尾秀介『透明カメレオン』
弱いの反対は、強いじゃない
ということで今回は、道尾秀介『透明カメレオン』(角川書店)です。
突然ですが、僕には新刊が出たらとりあえず買っておく作家、というのが何人かいます。この道尾秀介さんもその一人です。
道尾秀介という作家を知ったのは、いつだったかな……たしか『シャドウ』(創元推理文庫)がミステリフロンティアから刊行されたばかりのころで、知り合いに薦められてそれを読んだのでした。
それから既刊を一気に集めて、今ではすっかり道尾秀介という作家の虜であります。
本作は、そんな道尾秀介の作家生活十周年記念作品として刊行されたものです。観光自体は去年の一月で、ほぼ二年前なんですが、当時一度読んでいるので、今回再読となります。
で、感想。
これぞ道尾秀介、といった感じの作品でした。
僕としては道尾秀介といえば、『片目の猿』(新潮文庫)のような、技巧を凝らしたエンタメ作品の印象が強いのですが、本作はその流れを色濃く受け継いでいるように思います。
また、『秘密』や『嘘』といった過去の道尾作品においてキーワードとなっていたものもちりばめられていて、これまでの道尾秀介の軌跡を一冊にまとめたような、まさしく集大成的な作品という表現が似合う一冊になっていたと思います。
また、一個のエンタメ作品としても良質で、このところの作品と比べて、文体がやや軽妙なものになっているのも、この作品の雰囲気を意識してのものだろうと思います。
個人的には中盤あたりの展開は、もっとコメディっぽく書いてもいいのかなあ、という気がしないでもなかったのですが、これくらいにとどめておくのがいいのかもしれないなあ、という気もします。
あと、ここだけの話ですけれど、とある伏線はちょっとわかりやすすぎたかなあ、と思いました。初見の時点で「ああ、これは複線だな」とわかってしまったのがちょっと残念。
松浦寿輝『幽』
家は傘で、傘は家だった
この本はなんで買ったんだったか……ちょっと記憶にないんですが(買った記憶はある)、少なくとも四、五年前に買っているはずなのですが、そのころ欲しかったんでしょう、多分。
っていうかこの本、文庫になってるじゃん。他の文庫と合本になってるけど、講談社学芸文庫であるのね……いやあ、知りませんでした。
それはともかく。
本作は短編集なので、それぞれの感想から述べていきたいと思います。
・『無縁』
快楽というものについて考える男の、ある晩夏の日々をつづった話。
『快楽とは生き死にのいかなければ実感できないものなのだ』ということに関しては、ここまで大仰なことでなくともたしかにそうだよなあ、と感じます。人間の三大欲求がそもそもそういう、生き死にに関わるものである以上、人間がそういうものに対して強く何かを感じるのはごく当然といえるのかもしれません。
・『震える水滴の奏でるカデンツァ』
幸福とは何か、というテーマのような気がします。
個人的にはかなり好みの作品で、全体的にどこか官能的な雰囲気と、ひっ迫しているはずなのに奇妙に幸福感が漂う圭一の雰囲気が、なにか奇妙な感覚を抱かせます。
圭一の差し迫った状況が彼の幸福感をうまく浮き彫りにしている印象。
・『シャンチーの宵』
中国将棋(シャンチー)から始まるある夜の話。
どこか不思議な雰囲気の話でしたが、背景がそれほど入念に描かれていないがゆえに、様々な想像を働かせることのできる作品だと感じました。
・『幽』
表題作。家というものを通して世界について考える話(で、いいのかな)。
家が境界、というのはたしかにその通りだなあ、と思います。
たとえば家の中にはその家独自の言い回しやルールがあって、そのほかの世界とは、ある種別世界だと思うわけです。遊園地や動物園なんかもそうですが、玄関、と名の付く場所で区切られた世界は、どこも異世界のようにも思えます。
という感じ。
全編通してどこか幻想的な筆致で綴られていて、その独特の文章回しは好き嫌いが分かれそうですが、僕はどちらかといえば、やや読みにくさを感じていたように思います。
ただ、その雰囲気と文章がよくマッチしているようにも思えるので、この文章でなければこれらの作品はこの仕上がりにはならなかったのではないか、とも思います。
僕が好みだったのは『震える水滴の奏でるカデンツァ』、そして表題作の『幽』で、どちらもどこか奇妙な幸福感のようなものに満たされているような、そんな感じがしました。
浅暮三文『ペートリ・ハイル! ~あるいは妻を騙して釣りに行く方法~』
川に流れているのは水だけではない。そこには素敵な時間が流れているのだ
というわけで今回は、浅暮三文『ペートリ・ハイル! ~あるいは妻を騙して釣りに行く方法~』(牧野出版)です。
浅暮三文といえば、なんだか個性的なミステリを書いている人、という印象ですが(メフィスト賞作家だしね……)、本作は彼の趣味である釣りを題材にしたエッセイです。
タイトルにある通り、作中で浅暮氏は「海外旅行に連れて行ってしんぜよう」と細君をそそのかし、旅行先でひたすらに釣りをします。なにがすごいって、新婚旅行として出かけたフランスでも、浅暮氏は普通に釣りをしているんですよね……
このエッセイのせいで、浅暮三文=釣りの人(ハムの人みたいな)という印象がついてしまいました。
《参考画像・ハムの人》
さて、本書はそんな風に奥様を騙してヨーロッパ各地で釣りをする《妻を騙して釣りに行く方法》と、その旅程で目に付いた様々を語る《釣り旅の脇道で》、釣りに関するあれこれをまとめた《釣人雑記》、そして浅暮氏が釣りを始めたきっかけとなった話をまとめた《僕が釣りをはじめた理由》という、四部構成となっております。
全体的にどこかおかしみを孕んだ文章で、エッセイとして面白いのですが、僕が一番楽しんだのは第三部の《釣人雑記》です。釣りの話といっておきながら、なぜか猫の話をしていたり、トイレの話をしていたり、あるいは〇〇〇(尾籠な単語なので伏字、参考画像を見られたし)の話などもしていて、目先が変わって面白く読むことができました。
しかし、タイトルは《あるいは妻を騙して釣りに行く方法》となっていますが、奥様としては、「しめしめ、旅行中の何日か釣りに付き合えば、毎年海外旅行ができる」と思ったのではないでしょうか。
これじゃあどちらが騙されているのかよく判りませんね。
福井健太『本格ミステリ鑑賞術』
さあ、ミステリを読もう。
というわけで今回は、福井健太『本格ミステリ鑑賞術』(東京創元社キイ・ライブラリー)です。
この本は、どこで知ったんだったかな……たしか発売当初にどこかで「こんな本が出るんだヨ」みたいな話を聞いて、面白そうだと思ったから買いに行ったんだったと思います。
ところで、僕が住んでいる町は中途半端な田舎で、『それなりのものはあるけれど肝腎なものがない』という、なんとも困った場所なのです。
ここまで言えばお分かりかと思いますが、この本も当然地元には置いておらず、わざわざ都会まで出向いて買ってきた次第。もっとも、それだけの価値がある本だったとは思いますけれど。
本書はそのタイトルの通り、いわゆる『本格ミステリ』を読むにあたって知っておくといいことがまとめられた一冊であります。
……という風に書くと、「おっ、ミステリ読む前にこいつで勉強するやで!」(byやきう民)
的なことを考える方がいるかと思いますが、逆です。本書はむしろ、ある程度ミステリを読んでから読むことを強くお薦めします。
というのも、本書にはかなり有名なミステリの核心部分に触れている個所が数多くあるため、それに触れないままに読むと、手ひどいネタバレを喰らう(次回予告ですさまじいネタバレをしたアニメもありますが、それはまあ余談)ことになるのです。
ネタバレ上等! という方は気にせず読んでもらって構わないと思いますが、そうでない方はある程度ミステリに触れてから読むようにしましょう。
ちなみにですが、僕はこの本に出てくるミステリの半分くらいは読んでいません。というのも、僕は割合忘れっぽいので(以前の感想でもそんなことを言いましたが……)、いつかその作品を読むことになってもネタバレされたことを忘れているだろうと思ったので、読んでも平気だろうと判断した次第。
個人的には、第四部三章『叙述トリックの鬼子性』は特に面白く読みました。ここだけでも本書を読む価値があるくらいに興味深いことが書かれています。
もちろん、ほかの章もミステリの基本要素を深く考察していて、読んでいて面白いものとなっております。本屋で見かけたら是非。
相沢沙呼『小説の神様』
“文学少女"シリーズ 本編+外伝 文庫 全16巻 完結セット (ファミ通文庫)
- 作者: 野村美月
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2011/09/08
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログを見る
僕たちは、これからも、小説を書き続けていく。
というわけで今回は、相沢沙呼『小説の神様』(講談社タイガ)です。
このブログ的には初登場の相沢沙呼さんですが、僕個人としてはデビュー作の『午前零時のサンドリヨン』(創元推理文庫)から読み続けている作家でもあります。
高校生×小説という組み合わせは、これまでもいくつかあったように思うのですが、まず思い出されるのはやはり野村美月《文学少女》シリーズ(ファミ通文庫)でしょうか。内容的には全然違うのですが、こちらもぜひ読んでほしいところではあります。
とりあえず、感想にいきましょう。
小説における理想と現実が、ここにあるような気がします。
主人公の千谷くんが、打ちのめされた側から見た、小説や出版業界の現実を語れば、ヒロインの小余綾さんが、理想を唱えて『なんのために小説を書くのか?』と問い続ける。ある意味で青春小説としてまっとうな構図が延々と繰り広げられていくわけですが、ある部分から雲行きが変わります。
ネタバレを避けていくスタイルなので言及は控えますが、僕は読み進めつつも、小余綾さんにどうしても共感する部分が見いだせずにいて、さてどうしたものかと思っていたのですが、なるほどそういうことだったかと。その事実を念頭に踏まえれば、共感できなかった理由も、読み進めつつ感じた齟齬のようなものも、すべて説明がつくように思いました。
この作品のテーマはずばり『なぜ小説を書くのか』ということになるでしょう。
作家である千谷くんにとってそれは『なぜ生きるのか』という問いかけにも近いもののように思えるのですが、こういうことで悩むのも割と、中高生の特権のような気がします。年経ると案外、そういうことに対するシンプルな答えを、思いもよらないところからあっさりと見つけることもあって、こういう悩み事は縁遠くなっていく気もします。難しいように思える悩みにも、答えは案外シンプルで、一番大切なことなのかもしれない、と感じさせられます(とある歌でもそんな風に歌われていることですし)。
創作をする人にとっては創作するうえでの心構えとして、そうでない人には良質の青春小説として楽しんでほしい一冊でした。
清水潔『殺人犯はそこにいる~隠蔽された北関東連続幼女誘拐事件~』
一番小さな声を聞け
ということで今回は、清水潔『殺人犯はそこにいる~隠蔽された北関東連続幼女誘拐事件~』(新潮文庫)です。
もう解禁になったので書いてしまいますが話題になった『文庫X』の中身が本書となっております。
謎の本「文庫X」ヒット=カバーで書名隠し販売-9日タイトル公表・盛岡の書店
盛岡の書店から生まれた『文庫X』という企画がここまで大きくなるとは、おそらく仕掛け人の書店員さんも思ってはいなかったことでしょう。しかしながらこの試みは異例の広がりを見せ、このようにニュースサイトで取り上げられるほどにまでなりました。おそらくは二度と使えないであろうこの方法を用いてまで、一人の書店員が届けたかった本が、こちらになります。
僕はタイトル公表の前日に駆け込みで買ってきたのですが、一気に読んでしまいました。分量としては多く、また馴染みのないノンフィクションというジャンルの読みものでしたが、これについては感想を書かねばならないでしょう。
というわけで、感想。
報道、あるいはジャーナリズムかくあるべし、という内容ですね。
事件に関係する一番小さな声を聞き、報道マンとしてどうあるべきか、この事件の到達点はどこにあるのか。伝えるためには傷に触れなければならないというジャーナリストならではの苦悩が本書の全体からにじみ出ているようにも感じられました。昨今、インターネットの発達によっていわゆる一般市民でも様々な情報に触れることができるようになったことによって、テレビや新聞と言ったメディアの在り方が問われるような時代になりましたが、こういう報道ができるメディアが増えてくればその論争にも決着がつくことでしょう(僕個人の所感としては、そうできているメディアは圧倒的少数であるとは思いますが)。
本書の意義としては、タイトルにすべて収束されるのでしょうけれど、僕が注目したいのは、この事件は氷山の一角にしか過ぎないという点です。
未解決事件というものがどの程度あるのか僕は寡聞にして知りませんが、本書で取り上げられている《北関東連続幼女誘拐事件》のように、『闇に葬られてしまった』(あるいは、そうなりつつある)事件が、僕たちの気付いていないところにたくさんあるのではないか、そして、その犯人たちはすぐそばにいるかもしれない。そういうことを念頭に置いて本書を読み進めてほしいのです。
本書は『文庫X』として売り出されなければ、ここまで多くの人の手に渡ることはなかったように思います。おそらくは僕も、手に取ることはなかったでしょう。そういう意味でこういう出会いというのは大切にしたいと思いますし、この『文庫X』という企画はAmazonを筆頭としたネット書店にはない、リアル書店の存在意義と情熱を感じさせるものだったのではないかと思います。
伊坂幸太郎『首折り男のための協奏曲』
時空のねじれ、みたいなもんかな
というわけで今回は、伊坂幸太郎『首折り男のための協奏曲』(新潮文庫)です。
誤解を恐れずに言いますが、僕は伊坂幸太郎という作家の作品が、それほど得意ではありません。というのも、特に初期の作品に顕著なのですが、綿密に伏線を貼って、それをきっちりと回収しているのにもかかわらず、文体を軽くしてそれと気取らせないようにしているような、ある種のスタイリッシュさを感じさせる作法が、どうにも肌に合わないのです。
それでも伊坂作品を読むのは、その中にも好きな作品(『砂漠』(新潮文庫)とかな)があるのと、今手に取ったこの作品が、実はそうなんじゃないかという期待をしているのと。
まあ、そんなわけで、感想です。連作短編集なのでとりあえず一つずつ感想を書いてみたあと、総括したいと思います。
・『首折り男の周辺』
僕の思う伊坂幸太郎作品という感じの短編。みなさん、これですよ(大声)。このよくできた感じ。嫌な表現をすれば、物語として『出来すぎている』感じ。これが僕は割と苦手なんですが、なんというかこう、もっと物語としてささくれのようなものがあってもいいのに、と思うのです。いや、まあ、面白かったんですが。苦手なのと面白さはまた、別ということですね、はい。
・『濡れ衣の話』
一転して、シンプルな話でしたね。別の短編を参照すると、その作品が(あるいは、この作品が)より鮮やかに浮き彫りになる、というのはこうした、連作短編ならではの手法かと思います。
・『僕の舟』
これも最初の短編『首折り男の周辺』と同じく、きれいすぎるまとめ方をした話ですが、ここまでやる必要はなかったのではないかなあ、と思います。捉えようによってはロマンチックな話で、とても好ましいのですが、なればこそ、ここまで技巧的にならなくてもよかったのではないかとも思います。
・『人間らしく』
これは好みの作品でしたね。
僕は割と早い段階で物語のギミックに気付いたのですが、ラストの落ちは秀逸でした。
・『月曜日から逃げろ』
これも好みの作品。
伊坂作品の中の『お気に入り』は、こういうトリッキーなタイプのものが多い気がします。中でもこれは、特に好きな作品でした。でも正直、あの作品はもっと早い段階で作中に出したほうがよかったかもしれないなあ、とも思います。
・『相談役の話』
なんかいきなり怖い話が出てきた、と思ったら、これって初出が『幽』という雑誌なんですね。納得。
僕はこの雑誌を読んだことがないのですが、まあそういう雑誌なのでしょう。タイトルとか、そのままだし。
・『合コンの話』
本当にただ、合コンをしているだけの話。
おしぼりの話は参考になりました。使う予定はなさそうですが。
で、全体の感想なんですが。
面白かった。
面白かったけれど、ここまでする必要は果たしてあったか、という印象。
一つ一つの短編が、連想ゲームのように(世代的に伝わらない人もいるかと思いますが、マジカルバナナみたいに)繋がっているのですが、ところどころそれを意識しすぎているようにも思います。
たとえば、『僕の舟』の老夫婦は『首折り男の周辺』に登場しますが、単行本収録時に名前を変更して、この形になったんだそうです。どちらかの作品において老夫婦の名前をぼかしておく、くらいのほうがよかったかなあ、という気がしないでもないです。
あるいは、『合コンの話』において、冒頭で『首折り男とは無関係である』という旨があえて書かれますが、これを書く必要はあったのか、という気がしてしまいます。こういう部分は、読者の想像力に任せてしまったほうがいいのに、と感じてしまいます(というか、僕は任せてほしいと思うんだけどなあ)。
とはいえ、やはり面白い。
収録されている作品が多く、一つ一つも長いのでボリュームが結構あるのですが、読んで損はしないと思います。