清水義範『ドン・キホーテの末裔』
そうだ、続きを……第三部を書かねば。
というわけで今回は、清水義範『ドン・キホーテの末裔』(岩波現代文庫)です。
本作は、タイトルの通りセルバンデス『ドン・キホーテ』(岩波文庫)を下敷きとした壮大なスケールのパロディ作品です。
……という書き方をすると非常に分かりやすく、片手落ちの説明になってしまうのですが、なにがどう落ちているのかというのは、正直なところうまく説明できる自信がありません!
……あっ、ちょっと、眼鏡を取るのはやめてください。ちゃんと説明しますからその眼鏡に指紋をつけるのはやめてくださいお願いします。
ええと、本作の説明をするには、まず本家『ドン・キホーテ』の話をしなければなりません。
ある老人が自分のことを騎士であると勘違いして、行く先々で色々とお騒がせする話、というのが本家『ドン・キホーテ』のざっくりした説明になります。
この『ドン・キホーテ』の更にメタ的な立ち位置を書こうとしたのが、本作であります。
本作には、二人の作家が登場し、そのうちの一人が『ドン・キホーテ』のメタ小説を書き始めます。もう一人の作家は、それを興味深く読んでいたのですが、いつの間にやら自分でも、『ドン・キホーテ』のメタ小説を書き始めます。
その作品内で、自分のことをセルバンデスだと勘違いした小説家が、『ドン・キホーテ』の第三部を書き始めていくのです。
というのが本作のざっくりした(非常に、ざっくりした)あらすじになるのですが、本作のもっとも特筆すべき点は、マトリョーシカのような入れ子構造になっている、という点です。
入れ子構造の例として、今マトリョーシカを出しましたが、
《参考画像》
こんな感じで、通常は大きい人形の中から小さい人形が出てくる、という構造になっているのですが、本作は逆です。『ドン・キホーテの末裔』という本になっている物語が、マトリョーシカの一番小さい部分で、そこから外へ、外へと物語が広がっていく、という構造になっています。
最後にこの構造が作中でネタバラシされるんですが、そのくだりがとてもよかったように思います。読み進めていって「おや?」と思ったところが、最終的にしっかり回収されますしね。
『逆入れ子構造』とでもいうべき本作ですが、そういう枠組みはしっかりと維持しつつも、作中ではあらゆる境界が曖昧になっていき、しっかりと『ドン・キホーテ』を踏襲しています。現実をパロディとする、という手法も本家を意識したものとなっていて、やはり本家を読んだほうがより楽しめる作品なのではないかな、と思いました。もちろん、本作単独でも十分に楽しめるものではありましたが。
あ、ちなみに僕は本家は未読です。