松浦寿輝『幽』
家は傘で、傘は家だった
この本はなんで買ったんだったか……ちょっと記憶にないんですが(買った記憶はある)、少なくとも四、五年前に買っているはずなのですが、そのころ欲しかったんでしょう、多分。
っていうかこの本、文庫になってるじゃん。他の文庫と合本になってるけど、講談社学芸文庫であるのね……いやあ、知りませんでした。
それはともかく。
本作は短編集なので、それぞれの感想から述べていきたいと思います。
・『無縁』
快楽というものについて考える男の、ある晩夏の日々をつづった話。
『快楽とは生き死にのいかなければ実感できないものなのだ』ということに関しては、ここまで大仰なことでなくともたしかにそうだよなあ、と感じます。人間の三大欲求がそもそもそういう、生き死にに関わるものである以上、人間がそういうものに対して強く何かを感じるのはごく当然といえるのかもしれません。
・『震える水滴の奏でるカデンツァ』
幸福とは何か、というテーマのような気がします。
個人的にはかなり好みの作品で、全体的にどこか官能的な雰囲気と、ひっ迫しているはずなのに奇妙に幸福感が漂う圭一の雰囲気が、なにか奇妙な感覚を抱かせます。
圭一の差し迫った状況が彼の幸福感をうまく浮き彫りにしている印象。
・『シャンチーの宵』
中国将棋(シャンチー)から始まるある夜の話。
どこか不思議な雰囲気の話でしたが、背景がそれほど入念に描かれていないがゆえに、様々な想像を働かせることのできる作品だと感じました。
・『幽』
表題作。家というものを通して世界について考える話(で、いいのかな)。
家が境界、というのはたしかにその通りだなあ、と思います。
たとえば家の中にはその家独自の言い回しやルールがあって、そのほかの世界とは、ある種別世界だと思うわけです。遊園地や動物園なんかもそうですが、玄関、と名の付く場所で区切られた世界は、どこも異世界のようにも思えます。
という感じ。
全編通してどこか幻想的な筆致で綴られていて、その独特の文章回しは好き嫌いが分かれそうですが、僕はどちらかといえば、やや読みにくさを感じていたように思います。
ただ、その雰囲気と文章がよくマッチしているようにも思えるので、この文章でなければこれらの作品はこの仕上がりにはならなかったのではないか、とも思います。
僕が好みだったのは『震える水滴の奏でるカデンツァ』、そして表題作の『幽』で、どちらもどこか奇妙な幸福感のようなものに満たされているような、そんな感じがしました。