吉田篤弘『なにごともなく、晴天。』
電車が通った。今日も空は、晴れていた。
というわけで今回は、吉田篤弘『なにごともなく、晴天。』(毎日新聞社)です。
クラフトエヴィング商會として活動する吉田篤弘の作品です。クラフトエヴィング商會名義の作品は以前に取り上げましたが、吉田篤弘名義は今回が初めてかな?
本作は取り立てて大きな事件が起こるわけでもなく、センセーショナルな手法がとられているわけでもありません。しかし、心のどこかに残る。そんな作品です。
高架下の商店街、《晴天通り》に暮らす美子が、友人たちと過ごす日常を描いた作品――という紹介をすると、最近流行りの日常系マンガみたいですが、だいたいその認識で間違ってないと思います。
この話の中には、ほんの些細な事件や、小さな謎が転がっていますが、そういうものは誰の日常にも当たり前に転がっているもので、目を留めなければすぐに過ぎ去っていってしまうものなのかもしれません。本作はそうしたささやかだけれど、たしかにそこにあるものにスポットを当てて形にしたもので、のんびりと読書するのにもってこいの一冊です。
吉田篤弘作品はこうした雰囲気とほんの少しのファンタジーを楽しむもので、どれか一冊楽しむことができれば、ほかのどの作品も楽しむことができるでしょう。どの作品から入っても同じように楽しめる作者、というのは案外貴重なのかもしれません。
絲山秋子『豚キムチにジンクスはあるのか~絲的炊事記~』
おひとり様の日常飯、ここにあり
ということで今回は、絲山秋子『豚キムチにジンクスはあるのか~絲的炊事記~』(マガジンハウス)です。
ご存じ(かどうかは知りませんが)、直木賞にもノミネートされたことがある芥川賞作家(両賞にノミネートされたことがある作家は珍しいかと思います。角田光代、島本理生、宮内悠介あたりがそうだったかと)、絲山秋子の料理エッセイです。
このブログでは初登場ですが、僕はこの作家がとても好きで、折に触れて作品を読み返すことにしています。今回もそんな一回です。
本作は料理エッセイとしてはやや異色で、絲山秋子の生活にかなり密着した内容が多いように思います。
とはいえ、冬に冷やし中華を食べたり、夏にブイヤベース(らしきお鍋)を作ってみたり、父親に教わってキッシュを作ってみたりもしていて、内容はバラエティに富んでいると思いますけど。
僕個人の意見ですが、食べ物のエッセイを書くのがうまい作家は作品の外れが少ない、という法則があるんですが、この絲山秋子はその筆頭のような作家です。登場する料理はなんてことのない(言ってしまえば生活感のある)ものが多いのですが、これがまたいちいち美味しそうで。なんというか、こう、想像力に訴えてくるんですよね。
ドラマ『孤独のグルメ』(松重豊主演)もそうですが、『どこからどう見たって美味しいもの』を見せられることによって、受け手の想像力をビンビンに刺激してくるというのがここ最近のトレンドのようにも思います。本作もどちらかといえばその類で、シンプルな文章なのにこれほど想像力を刺激される、というのが本作の魅力かなあ、と思います。
ジョン・フランクリン・バーディン『悪魔に食われろ青尾蠅』
- 作者: ジョン・フランクリンバーディン,John Franklin Bardin,浅羽莢子
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 1999/10
- メディア: 単行本
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悪魔に食われろ青尾蠅!
というわけで今回は、ジョン・フランクリン・バーディン『悪魔に食われろ青尾蠅』(創元推理文庫)です。
前の読書が詩のような散文のような。なんとも解釈が多様なものだったので、今回は楽に読めるものを……と思っていたのですが、このていたらく(?)ですよ! 今回もずいぶん解釈が難しい本に当たりました。
ところで、僕が読んだのは創元推理文庫版なのですが、貼りつけてあるアマゾンの記事が翔泳社ミステリ版になっているのは、アマゾンのページがこちらのものしかないからです。なんで創元推理文庫版はないんだろ?
ともあれ、感想。
この手の作品をニューロティック・スリラーと分類するらしいのですが、今まで読んだものの中でも飛びぬけて難解でした。時系列が曖昧で、過去と現在と未来を自由に往来するので、読んでいて混乱します。おまけに文章がどこか指摘で、幻想的なせいもあって、夢と現実と時系列が曖昧になってきます。
これはきっと、あれですね。三人称と見せかけたエレンの一人称視点の小説と考えた方がいいかもしれません。読者が無意識のうちにエレンの視点を共有しているからこそ、この酩酊感と迷走感が生まれるのではないかと思います。
後半の展開はやや安直なきらいもありますが、駆け抜けるような速度が印象的で、個人的にはそこまで悪くないのではないかと思います。
そして、なんといってもこのタイトル。
いいですねえ、これ。
初見で興味を引くような強烈なタイトルでありながら、最後まで読むとその深さを理解することができる。こういうところにセンスが表れるんですねえ。
川上未映子『水瓶』
きらきらと輝く言葉たち
川上未映子さんはちょうど芥川賞を取った前後で何冊か手にとって、それからもエッセイなんかは割と好きでずっと読んできましたが、今回はなんとも不思議な作品集です。
これを小説と言ってしまうこともできると思いますし、散文詩と言うこともできると思います。個人的な印象としては、散文詩よりかな、という感じ。小説ほど緊密に物語として機能しているわけでもなく、散文詩ほど読者の想像と解釈に依らないというか……なんか、要領を得ないことを言ってますね。だってしょうがないでしょ、散文詩とか読んだの初めてなんだから。
本作は、決して万人受けするものではないと思います(みんなに受け入れられるなら、詩はもっと市民権を得ていることでしょう)。しかし、リズムよく並べられた言葉たちはきらきらと輝きを放ち、怖く妖しい作品の世界観を彩っています。個人的なお気に入りは『いざ最低の方へ』と『星星峡』ですが、ここも意見が大きく分かれることでしょう。
あと、個人的に注目したいのがタイトル。好きなのが多くていいですね。
たとえば『バナナフィッシュにうってつけだった日』なんかは、ちょっと翻訳小説のタイトルみたいで好きですし、『戦争花嫁』はこんなタイトルの歌がありそうですね。
難解な部分は多いですが、全体に作者の言語センスとリズム感がいかんなく発揮された作品だと思います。気になる向きがあれば、ぜひ。
穂村弘『君がいない夜のごはん』
お前の腰を破壊するためだ
というわけで今回は、穂村弘『君がいない夜のごはん』(NHK出版)です。
本作は歌人穂村弘が『食』をテーマにしたエッセイを一冊にまとめたものです。
穂村弘といえば、ひたすらに冴えない男性目線のエッセイを書く人、という印象ですが、今回もその鈍くささはいかんなく発揮されています。
個人的な所感ですが、エッセイはいかに読者を共感させるか、というところが肝要であるように思えるので(そういう意味では昨今のJPOPの歌詞はエッセイに近いものなのかもしれません)、こういうエッセイはもっと増えてもいいように思うんですよね。
穂村弘の場合、そういう鈍くささの中に、世界を見つめる鋭い観察力があって、それがただの共感させるだけのエッセイにとどまらないところなのかなあ、と思います。
最初に『食』をテーマにした、と書いてしまいましたが、正確には、『食』から見る日常生活、といった部分がテーマの大半で、四方田犬彦や石井好子のようなタイプのエッセイを期待して読むと、ちょっと肩透かしを食らうかもしれません。麦茶だと思って飲んだらめんつゆだった、的な。
とはいえ、いつも通り素敵なエッセイに仕上がっていると思います。特に食堂車の話は大好きでした。
浅ノ宮遼『片翼の折鶴』
私たちは消去法で疾患を断定することはできません。なぜなら、私たちの医学知識は完全ではないから。
というわけで今回は、浅ノ宮遼『片翼の折鶴』(東京創元社ミステリフロンティア)です。
本作は連作短編集になりますので、個別に感想を述べていきたいと思います。
・『血の行方』
原因不明の貧血に悩まされる男は、かつで自分で血を抜いていた男で……という話。
医療ミステリに関しては、読み進めつつ謎を解明することを基本的には諦めてるんですが、今回はそういう典型みたいな話でした。面白いんだけど知識的なものが不可欠、という感じ。
思うに、日常の謎(と本作を表現していいかはわかりませんが)は誰にでも解けるようなものが良質といえるのではないかと。
・『幻覚パズル』
タイトル通り、まさにパズラー的な作品。この次の作品『消えた脳病変』のエクスキューズになるような話題も出ていて、そういう点でも優秀だったかと。
・『消えた脳病変』
まず前提として、面白かったです。
しかし読み進めていきつつ、『結末がこうじゃなかったらいいなあ』と思っていたそのままの結末だったので、それはちょっと残念。
ただ、解答に至るためのヒントが絶妙にちりばめられ、しっかりと伏線も貼られていて、状況を一変させる仕掛けもあり、とミステリの基本をしっかり押さえた良作だったと思います。
・『開眼』
しっかりと結末に至るのは困難ですが、「だいたいこんな感じだな」と理解するのはそれほど難しくないかと思います。ただ、ある可能性が解決変までに明確に否定できるように書いてあればもっとよかったかな。
・『片翼の折鶴』
表題作にして、異色作。
いわゆる倒叙ものということになるのかな。ただ、『古畑任三郎』に代表される倒叙ものは最初に犯行の様子が描写され、そこから探偵役の視点に切り替わるのが通常であるように思うのですが(それほど数を読んでいないので確かなことは言えませんが)、本作はずっと犯人の視点です。こういう作品は、記憶にある限りでは『金田一少年の事件簿』の短編で、レストランだかなんだかに金田一と剣持警部がやってくる話(『殺人レストラン』という作品らしいです)がパッと思い浮かびましたが、ほかにちょっと思い出せないですね。
という感じ。医療ものというのは昔からありますが(古くは渡辺淳一さんでしょうか)、ここ最近は医療ミステリというジャンルが確立されたようにも思います。
本作は《ソリッドな医療ミステリ》と銘打たれていますが、僕は今一つその感じがよくわからない(そもそも、ソリッドという言葉をどうとらえていいものかもよくわからないのです(^^;))ので、そこについて言及はしませんが、本作はとても楽しんで読むことができました。特に表題作はミステリとしてだけでなく、医療ものとしても良作であるように思います。
北大路公子『苦手図鑑』
私の苦手がここにはある
というわけで今回は、北大路公子『苦手図鑑』(角川文庫)です。
コミカルなエッセイの名手による、脱力系エッセイです。お風呂なんかで読むのがいいかと。
個人的には『借りられ女の悲劇』、『出てこない問題』、『おでんの記憶』あたりは全力でお薦めしたいところ。
エッセイとしてはやや冗長な文章であるようにも思えるのですが、このだらけた雰囲気と、内容の脱力感がいい具合にマッチしていて、これはこれでいいんじゃないかとも思います。あれですね、のりしお味のポテチとコーラでもお供にして、だらだら読みたい所存。